2011年3月22日火曜日

comment

20110316
asahi.com(朝日新聞社)

「隣のクラスの女子生徒が津波にのまれて亡くなった。
活発な人だった。
彼女の最期を仲間に知ってもらい、悲しんでほしい」

南相馬市原町区
県立相馬農高2年蓬田凌平さん(17)
福島市のあづま総合体育館

20110322
NHK
「復興なんか後でいい。いくらでも時間がかけられる。
間に合ううちに行方不明者をさがして欲しい。」

それでも

それでも世界は動いている
形を変えながら
明日の姿を誰も知らない

そして君は諦めずにいる
生きることを
明日のこと
わからないことがほとんどでも
幾らかは君自身が描くことも許されている
悲しみという愛
暗い淵をのぞく勇気を持つ者も
持たない者もいる
疑うな
不意に湧き上がるイメージこそが
道しるべだ

2011年3月12日土曜日

Smile & Hope

どんな場合でも
今この時に在る命が何より優先される

みんなが口々にする希望とは

その瞬間
想像を絶する深さと大きさを持つ
絶対的な絶望と対峙した人がいた
それが過ぎたことなら
今はただ前を向いて希望を掲げることが
何より優先されることなんだろうか
それが本当に亡くなられた方々への
鎮魂に値するか

絶望の淵で
受け止めきれない喪失感 無力感と共に
涙しながら全てを見つめる
それこそが次へ向かうための
純粋で 何ものにも屈しない動機になるように思えてならない

曖昧な希望や笑顔を
これから先に進むための踏み台にするつもりなら
そこは気をつけないといけないんじゃないか

そのステップはあまりにも脆弱だ

2011年3月8日火曜日

untitled

絶望的な現実だ

全ての責任を誰かの背中に負わせて
昨日までのことは全て無かったことになって


SEXのルールで頭がいっぱいの連中には
その極端に偏った感受性と倫理観でもって
踏みにじったものが何か
一生わからんだろうな
最低の時間は
最低の人間に費やした時間のこと
全く意味を持たない無駄な時間を
人生がその内側に含むという絶望的な事実
それは死に等しい

屋上にて

それは10月のはなし
頭上を 無数の椋鳥が
駅前の寝床へと向かう
空き瓶に空き缶
割れたガラス
使い捨てられた箸袋
煙草の吸い殻
クシャクシャの買い物袋が
風に乗って走り回っている
僕の知っている小さな子供たちが
どんなに騒いでもこうはならない
これが知っているいい大人達のやってることだと思うと
本当に気が滅入る
少し掃除を試みるも
可笑しくなって断念する
公共の場
しかも全くの他人がお金を払っている場所
何も気に止まらなかっただろうか
この人たちが振りかざす
良識や倫理観にズタズタに引き裂かれ
粉々になる自分は何者か
夕闇が屋上の手すりに
向こう側からその寛容の手をかけていて
もうすぐ全て隠してくれる

新しい地平

マズロー階層のはるか上階に住まう人
彼が見るもの
そこで叫ばれる声が降り注いでいます

新しい地平が見えているのに
駆け出すことを恐れる理由は何もない

VOSKA NONRESONANTとの出会い
形になれば良いが

2011年3月7日月曜日

音の庭

芳しき音の庭
そこに何かを忘れてきたと僕は言い張る
しかしそこに僕のモノだと思わせるものは何一つなく
僕がそこにいた痕跡もないのだ